分譲マンションの数もそれに合わせて倍増していきます
マンション不動産のブームは何度も定期的に訪れていて安定の人気
《マンションが脚光を浴びた三六、三七年(一九六一年、六二年)の時期に次いで、今回は第二期のマンションブームと呼ばれているが、第二期の特徴は、分譲価格および質の低下により購入者層の幅が広がってきたことであるといえる。かつて郊外の独立住宅に集まっていた住宅需要者が住宅立地の遠隔化に耐え切れず、都心のマンションを志向し、このようなブームを引き起こしているのである》この文章は三十年以上も前に書かれたものだが、年代をバブル経済崩壊後の九〇年代から20OO年代にかけての今日の状況に置き換えても不自然ではない。
「バブル期の地価高騰によって、やむなく郊外でマイホームを取得した住宅需要者が、住宅立地の遠隔化に耐え切れず、分譲価格および質の低下によって求めやすくなった都心のマンションを志向し、このようなブームを引き起こしているのである」というふうに。時代や経済環境が変わっても、住宅に関わる問題はほとんど変わっていないのである。
全国で建てられた分譲マンションは六八年に一万二〇〇〇戸だったが、六九年に二万四〇〇〇戸と倍増し、さらに七〇年には五万七〇〇〇戸に達した(『建設白書』一九九八年版)。販売好調を背景にマンション事業への新規参入が相次いだ。野村不動産、ニチモ、有楽土地、長谷川工務店、藤和不動産、角栄建設、住友不動産、三井不動産、東京建物、三菱地所などである。マンション用地の取得合戦は熾烈さを増し、もともと人口の急激な都市集中に対応するために設立された日本住宅公団は、民間事業者に相当翻弄されたようだ。公団関係者によって綴られた『百万戸への道」(住宅共栄、一九八一年九月発行)に次のような記述がある。
長谷部産業は第2章でも述べたように、もともと大衆化マンションのさきがけとして進出しており、公庫が大衆向けマンションを融資の対象としていることを印象付けた。のちに同社社長の長谷部平吉は私たちの取材に対して、「公庫融資が下りたのは過去の実績が評価されたのでしょう。
大衆向けの物件を堅実につくっていましたから」と述べている。「発売当日はNHKがやってきて受け付けの様子をテレビ中継していました。でも、行列は出来たけど即日完売ということはなかったですね」七〇年当時は第二次マンションブームが終焉した頃に当たった。『マンション60年史』(高層住宅史研究会編・住宅新報社刊)によると、公庫では融資適用の企業について次の基準を設けていたという。
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